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seikousisanの日記

食べたり音楽(ロキノン・ももクロ他アイドル)だったり都内近辺の行く場所が多いと思います

ふわふわ時間

映画『けいおん!』を見て4日が経つがまだ興奮冷めやらず、『けいおん!』(1期)12話を全話見てしまった。

2期を見て、さらに映画を見た上で1期を見ると全然違う点が多々あっておもしろい。

・作画が不安定(主にキャラ)

・お互いの呼び名もまだ不安定(最終話の純ちゃん、憂ちゃんとか)

・澪の言葉遣いが不安定(2期じゃだいぶ男勝りな喋り方だけど、1期じゃだいぶ女の子っぽい)

大雑把にあげるとこんな感じ。
1期の『けいおん!』はあずにゃん登場の8話までとそれ以降で雰囲気が少し変わる。
あずにゃんが登場するまでは本当に閉じられた世界で、よく言われる物語なき物語感が出ていたと思う。
朝日新聞の記事、「空気系、物語なき楽園求め人気 「けいおん!」ヒット」でも話題になっていたと思うけどそんな感じ。
京都アニメーションの作画技術や演出技術、カメラワークを除けばその辺の萌アニメとなんら変わらない。
けいおん!』の原作はお世辞にも面白いということができる代物ではないので、この前半部分は原作に割と忠実な点もあり仕方がないのかもしれない。

しかしあずにゃんが入ることで閉ざされた世界が徐々に開かれる。
あずにゃんが入ることによって、4人を客観的に見る視点が生まれ、話も引き締まる。
原作にはないシリアスなシーンも追加されて行く。
そして、単なる空気系日常アニメではなくなって行く。

僕が『けいおん!』の1期であっても単なる日常系空気アニメではないと思うのには理由がある。(2期は1期と様々な点で変化(けいおん!ファン以外にはたいした変化ではないが、ファンにとっては大きな変化)があるのでまたの機会に)
それは『けいおん!』という作品が真っ向から日常を強く肯定するために作られている作品だと感じるからだ。
主張したいのはなんとなくの空気ではない、「仲間がいて、日々を楽しく全力ですごす日常の素晴らしさ」なのだ。

普段やっていることはお茶の時間が圧倒的に多い。
練習のシーンも入れど、さほどない。
それくらい、『けいおん!』という作品は日常というものを描くことに注力している。
そしてその日常の描き方が半端ないのだ。

カメラワーク1つにしてもそれは言及することができ、『けいおん!』という作品のカメラワークは基本、固定カメラが圧倒的に多い。
むだな動きをすることなく、とにかく日常を固定カメラから映し続ける。
画面の切り替えや演出ギャグやライブ時は派手なものになることもあるが、基本落ち着いたものだ。
この落ち着いた映像の演出で、余計なものを省き、日常というものを徹底的に描き切る。

このように日常を徹底的に描くことで、日常の中にある小さな物語をたくさん発見して行く。
この物語は『けいおん!』に登場するキャラクターによって発見される。
その発見が圧倒的に上手なのが主人公の唯(個人的に紬の目線もなかなかにいいと思うが話がそれるのでカット)だ。
彼女は小さな物語を発見して行くことで、周りの仲間を巻き込んで行き、最終的に日常というものに大きなドラマ性、感動を吹き込むのだと思う。

実質、見返している際に前半部分はつまらなくも感じた。
しかし回を重ねる毎に、「これこれ!」といった日常風景のかけがえなさを少しずつ感じ始める。
そういった日常が重なるにつれて最終回、唯にとって2度目の学園祭でのライブを迎える。
1期、2期、映画を通してこの『けいおん!』という作品にとってライブシーンは割とそれぞれの節目に描かれることになっている。
この1期最終回、学園祭でのライブは唯の心の成長というものが1つにテーマになっているだろう。
ただお茶をしていただけなのに何が心の成長か、と思う人もいるとは思う。
しかし前述したように日常から小さな物語を丁寧に紡いで行き、唯の成長と見てもなんら違和感はない。
むしろ、大きな感動を与えるまでになっているのだ(実質またライブシーンでは泣いてしまった)。

この日常から紡ぎだす小さな物語が起こす大きな感動。
これが『けいおん!』の大きな魅力だと思う。
また2期、そして映画を見ることを楽しみにしている。