seikousisanの日記

食べたり音楽(ロキノン・ももクロ他アイドル)だったり都内近辺の行く場所が多いと思います

ちょっときいてな

関西弁のもつ子音を伸ばして母音もつけちゃう感じがとても好きだ。
関西弁はキレた時に使えばそりゃもう最強に最凶に怖い言葉でもあると思うけど。
でも普段話したり聞いたりする言語の中での関西弁の落ち着く感じ、「あんなぁ、昨日なぁ、ゆーてたやんかぁ、ちゃうってぇ。」みたいな母音が豊富な可愛さは最高です。

言語ナショナリズムや、ベネディクト・アンダーソンの言う、想像の共同体を抱かせる2つの要素のうちの限定性を説明する1つの要因となる文字。
言葉の持つ、人々に仲間意識をもたせる強さは計り知れない。
海外で日本語を喋る人を見かければ、何弁であろうが多くの日本人は安心感を抱くだろう。
日本語だらけの国内でも、関西人が東京に来て、関西弁を話す人を見かけると少し嬉しくなったりもする。

こう考えると、アンダーソンが言う、限定性(同じ境界の内部に属している感覚)というものは、日本というくくりよりも、関西、果ては大阪というくくりの方が強まる。
やっぱり日本人である前に、大阪人という意識があるんだろうなぁと感じた。
また、こう考えると標準語(共通語)を喋っている人々はそういった機会は自然と少なくなる。
もちろん東京都民であれ、千葉県民であれ、神奈川県民であれ、やっぱり地元は好きだろう。
昔は「〜じゃん」は横浜の方言とか言って、各地の方言もあっただろうが、もうほとんどなくなっている感じがする(これは僕の周りの千葉であれ神奈川であれ、関東近郊出身者の話し言葉を聞いて感じることなだけだが)。

また、東北や関西以外の地方出身者は、上京すると割とすぐに標準語に順応する傾向があるように思える。
関西弁だけが、強く残り続けるのは、言葉に含まれる音域が関西弁だけが幅広く、他の方言はほぼ一定なので、影響をうけづらいらしい。
だから関西弁は他の方言を喋る人にも移ってしまうという現象がしばしば見られるのだ。
となると、やはり「想像の共同体」、また「ナショナリズム」というものを自分の地元に対してより強く持ちやすくなるのも関西人の特徴なのかなぁ。

と、そんなことをこの『ちょっときいてな』をなんとなく聴きたくなって思った。
僕が小学5年生の頃、関西の方ではヒットしていてラジオでもよく流れていた曲だ。
凄く懐かしい。

2008年には第二弾も出ていたみたいで、ここじゃ数え歌が出てきますね。

「いーちぃーにぃーさんまのしっぽーごりらのむすこーなっぱーはっぱーくさったとうふ」

関東の友達にきいてもやっぱりこの数え歌はしらない。
それどころかふつうに数を数えるだけでも、音にリズムがつくのは変だと言われることもある。
リズムがついちゃうのはやっぱり母音がつくからなのかなぁと思ったり。
関西弁はとても面白い言葉だと思います。