seikousisanの日記

食べたり音楽(ロキノン・ももクロ他アイドル)だったり都内近辺の行く場所が多いと思います

西大和学園高等学校野球部

2年生主将ゲキ、1年生打つ走る 西大和学園 奈良大会

昨日、祇園祭の宵々山を回ろうとしていると叔父から1通のメールがきた。
西大和学園4−2高円高校、ベスト16。」とあった。
この一報を聞いた一瞬だけは祇園祭がどうでもよくなるくらい嬉しかった。

母校でもあり、自分がその野球部出身だったので、この勝利がどれほど歴史的なものかはよくわかる。
平成23年の入試では東大・京大合格者数110人。国公立大学医学部医学科合格者数52人。生徒の半数以上が東大・京大もしくは国公立の医学部というアホみたいな入試実績を出している。
この実績だけを外部の人間が見ればすごいとなるかもしれないが、そのために生徒は様々なことを犠牲にしている。
その1つが部活動だ。

部活動は基本、高校2年の最後の大会で引退となる。受験勉強に少しでもはやく専念するためだ。野球部の場合は選抜甲子園にでも出ない限り、2年の9月で引退だ。
さらに、ふだんの授業は5時頃まであり、部活動ができるのは平日だと2時間程度、土曜日も13時まで授業があるのでその後の活動になる。

十分でない練習量、さらに夏の大会は2年生主体のチームで挑まなければいけないハンデを背負っての今回のベスト16進出。
高校野球での1年の経験の差は大きい。技術的な差はもちろんだが、冬を経験するかしないかで身体的な差が大きく生まれる。
日照時間が短く、寒いため十分な技術的な練習ができない中、選手達は多くの時間を基礎練に費やすことになる。そこで未熟な高校生の身体がみるみる大きくなっていく。

この大きな1年というハンデをはねのけ手にした今回の勝利。同じ環境の中で手にすることができなかった世代だからこそ本当に胸が熱くなった。
後輩達が東大・京大、医学部に何人入ろうが、この1勝の嬉しさの方が格別に大きい。それなりの偏差値の人間がそれなりの偏差値の大学に入ることよりも、身体能力やセンスもまちまちな、しかも特別に恵まれたわけでない選手達が切磋琢磨して勝ち取った1勝だから。

高校野球、それも夏の大会で1つ勝つということは容易ではない。ほとんどの高校が3年間の集大成として全力で挑んでくる。
そんな本気がぶつかると、強豪校でもまさかの初戦敗退を期してしまうことだってある。
その中で勝ち取った1勝。1勝と言わず、さらなる高みをめざしてほしい。

とかとか思いながら、東京に帰ってきた。その新幹線の中で2冊の本を読んだ。

あひるの空(32) (講談社コミックス)

あひるの空(32) (講談社コミックス)

一方は高校バスケマンガ、もう一方はプロの世界で20年間活躍してきた捕手の自叙伝だ。
そこに共通して描かれているのはアマチュアとして、負けたら終わりという中で切磋琢磨して努力すること。
努力をしても報われるかなんてわからない。そんな中でもがき、苦しみながらも突き進む熱さ。

自分も野球をやっていて、中学時代は監督にほぼ干され、最初はレギュラーになんかなれるはずもないと思っていたけど、誰よりもバットを振っていた自信はあった。
ある日コーチの目に留まり、特別指導を受け打撃が改良されていくと、監督からも指導を受ける様になった。
監督に認められ、レギュラー組に入れたことは嬉しかったが、その反面「やったったぞ。」と監督を見下す様な思いも持った。
高校時代はまたレギュラーから遠ざかるも、全ての練習を誰よりも全力でこなすことを続けた。その姿勢を認めてもらったマラソン大会の連帯責任ペナルティ。
練習中に初めて監督に肩を組まれ、チームを鼓舞する様に励ましてもらったこと。練習後に「1番輝いていた。」と言ってもらったこと。
本当に野球を辞めないで、全力で続けていてよかったと思えた瞬間だった。

結局大会の前に骨折をしてしまい、公式戦で背番号3を背負ってグラウンドに立つことができたのは1度きりだった。
でも自分のため、そしてチームのために野球を続けていた時間は本当にかけがえのないものだったと思う。
この記事の冒頭で、様々なものを「犠牲にしている」と書いたが、その犠牲で得ることができた対価は本当に大きなものだったので、もしもう一度、少年時代に戻れるならば野球を絶対にする。
そして自分も勝利の味を味わいたい。